2022年5月に最年少のプロ棋士になった鎌田美礼さん。
鎌田美礼さんは過去にスペースクラフトに所属し子役やモデルをしていた経歴の持ち主だったのです。
ですが、子役やモデルを辞めてプロ棋士を目指すようになったんだとか。
「かわいい」と既に注目されているので、なぜ可愛いのに子役やモデルを辞めてしまったのか…気になりますね。
調査したところ、ですが、子役やモデルを辞めてプロ棋士を目指すようになった理由が判明しました。
そこでこの記事では
などについて解説していきます。
鎌田美礼さんは赤ちゃんの頃から小学生の頃までキッズモデルをしていました。
また、鎌田美礼さんは子役として2013年11月に放送されたドラマ「こうのとりのゆりかご」にも出演していました。
そんな鎌田美礼さんが子役やキッズモデルを辞めた理由について解説していきます。
赤ちゃんの頃から子役やキッズモデルをしていた鎌田美礼さん。
鎌田美礼さんはおとなしい性格の持ち主だったので「人前ではきはき話すのが得意じゃなかった」ということがあり辞めることになったのです。
鎌田美礼さんは6歳の時に将棋を始め、小学3年生頃にはより強くなるために茨城県取手市から石田和雄九段が師範を務める千葉県柏市の柏将棋センターへ通うようになり、4年生で研修会に入っています。
その為、将棋の勉強が忙しくなりそれまで習っていた水泳や習字やピアノも全て辞めたんだそう。
ピアノも水泳も好きだったそうですが、辞めて将棋を選んだのは「将棋なら、1番上を目指せる」と感じたからなんですって。
鎌田美礼さんは負けず嫌いだそうでやるからには1番上を目指そうという強い意志を感じます。
1番上を目指すためにも将棋の勉強時間を確保するために子役やキッズモデルを辞めたことも要因ですね。
鎌田美礼さんがプロ棋士になった1番の理由は「プロの女流棋士になってほしい」という母親の思いからです。
プロ入りを意識したのは中学1年生の頃。実は鎌田美礼さんの母親は鎌田美礼さんが小学6年生の時に病気で亡くなっています。
鎌田美礼さんの母親が亡くなったことで鎌田美礼さんは精神的に苦しい時期がありました。
そして将棋から離れた時もありましたが、「プロの女流棋士になってほしい」という母親の思いを引き受ける決心をし、鎌田美礼さんは中学1年生の時にプロになる意識をし始めました。
そして、鎌田美礼さんは中学2年生で現役最年少女流棋士になりました。
亡き母親の思いが支えにあったからこそ、鎌田美礼さんはより棋士として強くなったのでしょうね。
鎌田美礼が子役(モデル)を辞めたのは
ということがきっかけでした。
また、鎌田美礼がプロ棋士になった理由は「プロの女流棋士になってほしい」という亡き母親の思いからだということもわかりました。
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